葛尾大尽物語の背景

葛尾大尽・松本三九郎一族 ゆかりの場所


屋号は「鉄屋」


 地形・地質から砂鉄や木炭の獲得が容易であり、天和2年(1683年)には、三千貫目の産鉄云々と最初の製鉄関係の事実が認められます。


 この頃、葛尾大尽初代三九郎好倉の子重供は、屋号を「鉄屋」と称し、鉄売買に当たっていたとみられ、やがて5代目兼通の頃には、延鉄生産をしていたと考えられています。


葛尾村郷土文化保存伝習館(たたらと大鍛治水床炉)





薬師寺

             


  天文6年(1538年)開山、その後真言宗寺として郡内二十四寺の一つとなりました。

 葛尾大尽・松本三九郎一族も代々信仰し、御本尊「金剛界大日如来坐像」は松本聡通の妻イネが、大般若経文・大般若理趣文・釈迦の涅槃像の三点を松本博道が寄進しています。その他にも「閻魔大王」を始め、地獄での裁き役といわれる「十王」のも木彫坐像があります。


薬師寺はここにあります。





磯前神社〔村指定有形文化財〕

         

 
                   大栄2年(1522年)勧請。従前は薬師如来の祭祀でしたが、「大国主命・言代主命」を祭っています。明治2年(1869年)神社法の改正により「磯前神社」となったためか屋根には宝珠、欄間の彫刻には狛犬が見られます。内部には、文久3年(1864年)・明治15年(1882年)などと記された彩色奉納絵馬が残っています。また、屋根の宝珠の下に松本家の家紋「左三つ巴」が見えます。


 敷地内に、松本三九郎一族の墓石群と、高御座(たかみくら)の夫婦杉があります。


磯前神社はここにあります。





葛尾大尽墓石群〔葛尾村指定文化財史跡〕


 


 


 


 松本三九郎一族の二代目、松本三九郎重供の墓石の他49の墓石群があります。


 


  


 


 


 


  これらの墓石群は「参詣墓」であり、遺骸を葬った「埋墓」は、『磨崖仏』に通じる道の下にあります。


 


  





磨崖仏〔村指定史跡〕

      


 宝永6年(1709年)、葛尾大尽と呼ばれた松本一族の二代目当主、「三九郎重共」の代に作られたと思われる石仏。高さ数メートルの大岩に、文殊菩薩・大日如来・阿弥陀如来・聖観音菩薩・地蔵菩薩・不動明王・虚空蔵菩薩と七体の仏が刻まれています。


 磨崖仏はここにあります。





一位(イチイ) 〔村指定天然記念物〕


 「松本伝八郎重勝」の代に、松本家の先祖「松本勘解由介親照」が、葛尾村に永住したことを記念して植えたと言われています。


一位(イチイ)はここにあります。




京桜・京紅葉


 


 享保年間、京都東御門跡御内遠藤兵衛の娘、イネが葛尾大尽に嫁入りの際、故郷を偲び移植したと伝えられています。京桜は近辺に子孫木がありますが、敷地内には残っていません。


 


 


 




 三匹獅子舞〔村指定無形文化財〕


 日山神社・磯崎神社の例大祭に、小中学生により奉納されます。「庭入り」から「納め舞」まで12の舞があり、雄獅子(太郎・次郎)と雌獅子に、岡崎と呼ばれる道化がからみます。


 ★三匹獅子舞の由来


 江戸時代中期にあたる、元禄年間に葛尾大尽といわれた「松本直通」が再興したといわれ、日山(天王山)の牛頭天王に奉納し下山してから、自宅(葛尾大尽)の庭で「笠ぬき」の舞をまわせました。これが引きつがれて今日に至っています。





 三界万霊塔


 


 


 享保年間の飢饉の餓死者を供養したもので、三界とは、欲界・色界・無色界を言います。


 


 


 


 




地蔵尊

      


 旧道を歩くと道端の草むらの中に石仏が顔をのぞかせているのに出会う。「子育地蔵」「子安地蔵」「延命地蔵」と様々ですが、享保・天保の飢饉で餓死した人々を弔うために建てられたものも多いと伝えられています。また、偶像崇拝で壊された「首なし地蔵」も数多く見られます。

 現在でもお参りする人は絶えず、昔も今も子供を思う母親の気持ちは変わらないようです。


 





 





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